アダム・スミスは、 分業すれば生産性が高まるので結果的に国が豊かになる、と指摘しています。また、分業は人間だけができることであり、分業は利他心でなく利己心に働きかける、としています。要するに「私が欲しいモノを作ってくれれば、あなたの欲しいお金を上げます」これが成立するとしています。この考え方は利己心が働いていて「自分が欲しいもののために相手に何かを作る」、この利己心で経済は回るとしています。
アダム・スミスは「みんな自分の利益のために働いているんだ」としています。上記の”利己心”です。でも、 それが結果的に社会的に分業になっているとしています。みんな自分の利益のために働いていれば結果的に、あたかも「見えざる手」に導かれるように世の中はうまく回っていく、としています。自分の利益のために働いていれば経済はうまく回るし、需要と供給のバランスもとれてモノの適正価格も自然に決まる、 としています。
この「見えざる手」という言葉は、もともとはキリスト教の「人類最後の最終戦争には信徒は神の見えざる手により救済され、天国へ行くことができる」という終末思想に由来するもので、アダム・スミスがこれを経済論に比喩したものと考えられています。
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