1985年から1990年の間、日本の経済はバブルとなっていました。そのキッカケとなったのは、1985年に開かれた「プラザ合意」とされています。
プラザ合意とはプラザ合意とは、1985年にアメリカのニューヨークのプラザホテルで行われた先進5か国による為替レートを安定させるための会議による合意です。 |
公定歩合(こうていぶあい)とは、日本銀行が決定していた民間銀行にお金を貸し出す時の金利のことです。過去、日本では、この公定歩合によって金利が決まっていましたが、金利は民間に決めさせた方がいいとして、1995年公定歩合は廃止となりました。現在では日本銀行は金利を決定する立場ではなく、金利を誘導する立場となっています。
公定歩合(金利)が引き下げられたことによって、日本の企業はお金を借りやすくなりました。そこで日本の企業は、土地神話をもとに財テクに走り始めます。そこからバブルが始まっていくのです。続きは次ページで。
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