プラザ合意をキッカケに円高ドル安が進み、不況となってしまった日本は、景気対策のために公定歩合(金利)を引き下げました。
ここから日本はバブル期に入っていきます。
公定歩合が引き下げられたので、多くの企業は土地神話をもとに財テクで儲け(バブル期に日本企業が土地神話をもとに行った財テクとは?のページ参照)、NTT株の急騰をキッカケに空前の株ブームが始まり、個人の資産は増え、物価は上がり、銀行は空き地の所有者へマンションやビル建設のための融資を増やしました(バブル期の空前の株ブームとはのページ参照)。
ここまでがバブル期です。
その後、景気が良くなり過ぎて物価も上がり過ぎていると判断した日本銀行は、公定歩合(金利)を引き上げる検討に入りましたが、1987年10月のニューヨークの株式市場で起こった大暴落(ブラックマンデー)を受けて、金利を引き上げませんでした。
金利を引き上げなかった日本では、バブルがさらに加速しました。物価は上がり、土地の値段も上がっていきました。土地が高くなってしまったので、サラリーマンたちは怒り出しました。
家が買えない・・・
そこで、土地の値上がりに歯止めをかけるため、当時の大蔵省は「総量規制」というものをかけました。そして同時に「地価税」というものもかけました(0.3%)。
総量規制とは総量規制(そうりょうきせい)とは、銀行は不動産会社にお金を貸してはいけない、という規制のことです。銀行がお金を貸すから不動産会社は土地を買う、その結果、土地の値段が上がってしまう、と考えられてもうけられた規制です。 地価税とは地価税(ちかぜい)とは、土地を持っていれば税金がかかる、というものです。 |
大蔵省は、総量規制と地価税によって土地の値段がこれ以上上がらないような対策をとりました。と、ここでさらに日本銀行が公定歩合を引き上げたのです。2.5%だった公定歩合は、6%まで引き上げられました。
これらの政策によって土地が全く売れなくなってしまいましたので、不動産会社は一気に姿を消していきました。ここで土地神話は崩壊し、土地の値段も暴落していきました。土地の値段が暴落してしまったので、バブル期に土地を担保にお金を貸していた銀行は、大量の不良債権をかかえることになったのです。
これによって銀行は債務が増え、お金がなくなっていきました。
1997年、銀行は次々に破綻していきます。コール市場をとっていた民間の銀行は、不良債権をかかえる他の銀行を信じられなくなり、民間の銀行間によるお金の貸し借りも止まっていきました。さらに、銀行は一般にもお金を貸さなくなったので、経済は悪化していったのです(バブル崩壊)。また、空前の株ブームで株を買っていた人たちも次々に株を売り始め、39,500円まで上がっていた日経平均株価は20,000円・・・10,000円・・・と下がっていき、2001年、日本はデフレに入っていったのです。
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